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コンテンツは原則タダである。

(初版日:2002年09月27日、最終改訂日:2005年6月1日)

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コンテンツ、つまり、文化的表現物というか、著作権の保護対象である創作物というか、つまり、小説、音楽など、これまで商業ベースで消費されてきたものは、ほんらい、タダなのではないだろうか。著作権は当然ながら保護されなければならないけど、それは儲けを保護することじゃない。本来、なにかを創作するとか、表現するとかってのは、金が欲しくてやってるんじゃなくて、やりたいからやっているのだから。高校の文化祭でバンド組んでたときも、金は一銭も入らなかったし。スタジオ代はかかったけど。

レコード会社や出版社は、仮にCDや本や雑誌を「文化」だと言うのならば、非営利組織つまりNPOに変身したほうがいいのではないだろうか。そのほうがわかりやすい。営利を追及するんだったらば、文化などと言うものではないように思う。儲けたくて小説やCDを販売しているのにもかかわらず文化の担い手を自称する、というのは、なんだかおかしくないだろうか。

いずれ、何らかのコンテンツ制作にたずさわる人は、
・ほとんどの人は無償、もしくは、非営利活動に従事することによって、生活費程度の収入を得られる可能性はあるけど、大儲けは望めない。既存メディアを含むコンテンツ制作業界は、利幅の薄い業界となる。ほんとにモノを作りたい人間だけが、つつましく暮らしながら、モノ作りに励む。コンテンツ制作にともなう収入は、寄付などによってまかなわれることになるかもしれない。
・もっとお金が欲しければ、淘汰の先に生き延びた一部の商業コンテンツ業界に生き残り、意に沿わない仕事もやらないと。そこでは制作者のモチベーション、「こんなモノを作りたいんだ」という熱い思いは否定されるだろう。
・ただし、多くのエンドユーザーが「これならお金を払ってもいい」と思うコンテンツメーカーだけがわずかに生き残る。彼らは、大儲けできるかもしれない。でもタダで素晴らしいコンテンツがあふれている時代に、はたして金を出す人がいるかどうかは別問題。
…となるかもしれないと勝手に想像。

すでにそれは始まっているように思う。既存メディア業界はパイとしては縮小方向に進み、その余白を、タダで作られた多くのネットコンテンツが埋めるようになるだろう。

ぼくは、これまで情報の受け手だった人たちが情報発信をすることで、豊かなコンテンツ空間が生まれると確信をして、提言もしてきたし、その状況の到来を待ち望んできた。でも実際問題として、コンテンツが原則タダの時代が到来すると、職業人としては、食いっぱぐれの危機に直面もするわけだ。なかなか悩ましいが、時代の波は変えられない。ぼくなりに前に進んでいくしかないと思っている。食えなくなるのは困るけど、少なくともコンテンツ制作者としてのぼくのモチベーションは、金儲けに支えられているわけではないのだから。

宮沢賢治は後世に残るすぐれた作品をたくさん残したけど、「下の畑にいます」と、汗水流して働いていたじゃないかと思ってしまうのだ。彼に金を与えれば、もっとすぐれた作品が、もっとたくさん生まれていたとは、思えない。